イラストレターには5つの喜びがあります 1つ目は仕事の依頼が来た時です。 プロなので仕事の依頼がくるのは当たり前ですが これは自分の力が人に認められた証です。 とても嬉しいことです。 特に新しい仕事、初めてのタイプの仕事が来たときは、 はやくその仕事を見てみたい、 やってみたいという気持ちで すごくワクワクします。 イラストレター1つ目の喜びです。 2つ目は絵を描く喜びです。 あなたの仕事は絵を描く事です。 描く事が好きで選んだ仕事です。 楽しくないはずはありません。 仕事を依頼したクライアントに 喜んでもらえる作品を創る事は あなたとって とても充実した時間となるのです。 仕事はこんなに楽しいんだと 実感するのはこの時です。 3つ目は作品が掲載された時です。 イラストレターなら誰でも 自分の作品がもう本屋に出ていないかと 書店の棚を探した経験があるはずです イラストレターの作品は 書籍、ポスター、テレビ等の媒体を通じて 発表されます。 フリーのイラストレターは自分の作品が これら媒体で多くの人に 見られる事を心待ちにしています。 あなたも、 自分の作品が本や雑誌の表紙を飾ったり テレビCMで流れたりするのを 見るのはとても嬉しいと思うでしょう。 本当に人に教えたくなります。 イラストレターだけが知る喜びです。 それが一冊丸々自分の作品の 絵本だったりすれば喜びはなお更でしょう。 そして4つ目、ギャラを受け取る喜びです。 この喜びは 誰でもわかる事なので特に今言うこともありませんが 大きい仕事をした後は 貰う金額もそれなりに大きいはずです。 もちろん喜びも大きくなります。 因みに ポスターならば媒体にも因りますが 1点40万円〜100万円くらいでしょう 印税の仕事ならそれ以上です。 そして最後5番目の喜びは 自分の仕事が形として残せる喜びです。 イラストレーターなら一番大きな喜びかもしれません。 大抵の仕事はそれを形として残すことは出来ません。 時間とお金の引き換えです。 どんなに大金を稼いだとしてもたぶん形としては残りません。 唯一、アーティスティックな仕事だけ 仕事を形で残せます。 イラストレターの仕事はまるで日記のようにです。 あとから 自分の人生を振り返って見ることが出来ます。 やってきた仕事すべてが自分の宝になります。 僕はこの5つの喜びを感じることが出来る イラストレターという仕事を選んで 本当によかったと思っています。 そしてこの 喜びをずっと感じて生きてこれた事へ 感謝の気持ちでいっぱいです。 なぜ僕がこんな話をここでしたか、 その理由は あなたにも イラストレーターになってもらいたいからです そしてこのイラストレーターという仕事が どんなにすばらしいか 知ってもらいたからです。 申し遅れました 僕は渋谷アートスクール講師で、 イラストレーターの松本修一と申します。 僕は26歳でフリーのイラストレーターになって ずっとこの世界で生きてきました。 また、34歳からは イラストレーションと絵本の講師として 日本デザイナー学院、東京デザイナー学院 という専門学校でイラストレーションと、絵本を 教えてきました。 また、 現在の渋谷アートスクールも含めると 25年以上、イラストレーションと、絵本の講師をして 1000名以上の生徒と接してきました。 そしていつも生徒に言っている事は イラストレーターになるには方法を知り、 それに沿って勉強していけば、 必ずイラストレーターになれるということです。 当たり前と思いますか? 逆に言うと イラストレーターになるには方法を知らないと イラストレーターになれないということです。 絵が下手だからイラストレーターになれないのではありません。 イラストレーターになる方法を知らないから イラストレーターに成れないのです。 もし、 あなたが今まで イラストの勉強をしてきて 未だにイラストレーターになれないななら それは あなたがイラストレーターになる方法を知らないからです。 または、 イラストレーターになる方法を知っている講師と めぐり合っていないからです。 自分で言うのもおかしいのですが 僕はイラストレーターを育てる事に自信を持っています。 それは単に多くのイラストレーターを育てたとからではありません イラストレーターになる方法を知っているからです。 元々 飛び抜けた才能や運の良さでイラストレーターに すんなりとなってしまう人もいます あなたはそうでしょうか! もしそうならこの先を読む必要はないでしょう 反対に 自分に自信がなかったり 能力に不安があったりして 今一歩踏み出せないようなら 僕の話を少しだけ聞いてください なぜなら、 僕もそうだったからです そして 僕の教え子たちもみんなそうだったからです
だれもイラストレーターになる方法を 教えてくれなかった
絵で食べていきたい これが僕がイラストレターになろうと思った動機でした。 当時僕は、専門学校は卒業したものの 就職もせず、絵も描かない バイトに明け暮れる ダラダラした生活をおくっていました。 絵を描く仕事に就きたいという 気持ちで入った専門学校だったのですが 学校では課題だけを事務的にこなし それ以外に絵を描くということはほとんど無く 他に自分のやりたいことも見つからず そのうち何とかなるだろうという 安易な考えに支配され 若さを謳歌するといえば聞こえは良いのですが ただ、目先の楽しみだけを追う毎日を過ごしてしていました。 そしていつの間にか 本当に絵を描いて暮らしていけるなんて事があるのだろうか? イラストレーターなんて特別な才能の持ち主しか成れない 仕事なんじゃないか? そう思うようになっていました。 それは自分の自信の無さもありましたが 今まで出会った講師や先生で イラストレーターになる方法を具体的に教えてくれた人が 一人もいなかったからでした。 「イラストレーターは特別な才能がある人だけがなれる仕事」 いつも間にかそう思うようになっていました そして 気がつけば友達はみな就職。 自分だけがひとり取り残されている事に気がつきました。 「ああ、これから俺はどうなるんだろう?」 そんなことばかり考えて毎日を過ごしていました。 いくつものバイトを繰り返しているうち いつしか僕も25歳になっていました。 「もう自分は若くない、このまま自分の人生を決めないでいたら きっと駄目になってしまう」その時は僕そう思いました。 好きでもない仕事を一生続けることは絶対にしたくない! 会社や上司、時間に縛られる仕事もやりたくない! 好きな事だけして心豊かに暮らしたい! 好きな絵で食べていきたい そして人生1度くらい好きな事をやるため本気で努力しよう! これが僕がイラストレターになろうと思った動機でした。 まず最初にしたことは会社を辞めました。 一人暮らしをしていたのでとても不安でした。 しかし 仕事をしながら余った時間で 絵が上達するような気がしなかったのです。 そしてまた、今までのような ダラダラした生活に戻ってしまいそうな気がしました。 当時僕は、 窓ガラス清掃の会社に勤めていました。 給料が良いのでバイトのつもりでしたが 実質は正社員というかたちで 6ヶ月の失業保険(昔は6ヶ月だった)があったのです。 失業保険がおりるまで2ヵ月は 貯金で食いつなぎ 6ヶ月を失業保険で食いつなげば 8ヶ月間、絵に没頭できる。 こうして僕の 死に物狂いの絵を描く生活が 始まりました。 その時僕は 小説挿絵のイラストレターになりたいと思っていました。 理由はたまたま、近くに著名な挿絵画家が住んでいて その家がそれなりに立派だったというだけです。 小説挿絵のイラストレターになるには どんなイラストを描き、 どうやって売り込めばばいいのだろう。 いきなり疑問にぶつかりました。 いままで描いた絵をそのまま持ち込んでいいのだろうか 具体的にはまったくわかりません。 何を描いていいかわからない?? イラストレターになるという 結論は出たのですが なるための勉強のやり方が全くわかりません。 いままでイラストの学校に行ってたはずなのに 全くわからないのです。 まず初め考えたことは 「いったい何を描けばいいのだろう???」 学校の課題やデッサンやクロッキーが 売り込みに使えないことぐらいはわかります。 学校ではB2のパネルに水張りで描くのが普通でしたが イラストレーターがそんなものを描いているようには 思えません。 誰も教えてくれないなら自分で調べよう これが結論でした。 神田の古本屋に行って店頭にならぶ 小説誌を山のように買い込みました。 うちに帰り すべての小説の挿絵を切り抜き タイプにより分類しました。 すると ある一定の法則が見えてきました。 今、現在の小説誌の挿絵に 必要な要素は こういうことであるという法則です。 たとえば 今、現在の小説は どんなタイプに分けられるか。 タイプ別の多い少ない。 挿絵家達は どういう事に注意して絵を描いているか。 どの挿絵家がどこでどういう仕事をしているか。 誰が売れっ子で誰が新人か。 売れっ子と新人の違いは何か。 そして、 プロの絵は 素人とどれくらいレベルの差があるか。 こんなことは学校で習った事はないことです。 だれも教えてくれなかったけれど 挿絵のイラストレーターになるにはとても大事なことです。 これは スポーツで言えばルールのようなもので サッカーのルールを知らないで やみ雲にボールをけってもサッカー選手になれないように 自分の進みたいイラストがどの分野で その分野で必要とされている事は何か を知りそのための勉強をしなければ イラストレーターには成れません。 「そんなことは知らなくても イラストレーターに成れる人はいるんじゃないか?」 そういう質問もあるかもしれません。 たしかに 僕の友人の中には ほとんど勉強しなくてイラストレーターになった人はいます。 ただその人たちに共通することは 飛びぬけた才能かよほどの強運があります。 普通どちらもありません。 少なくとも 僕が教えてきた 1000名以上の生徒でそのような飛び抜けた才能や運の良さを 持った生徒を未だかつて見たことがありません 八百屋を出したければ野菜のこと レストランを出すなら料理のこと これは必須の知識です 同じように イラストレーターになるなら 知っておくべき知識があります。
集中して描く事で絵は格段にうまくなる。
挿絵を分類したおかげで 挿絵というものがどういうものか また、自分の絵がどんなタイプなのかも 少しわかりました。 プロになる近道は集中して描く事です。 会社を辞めた僕には 有り余った時間がありました。 僕は それらの時間を全て絵を描くことに使おうと思いました こうして 朝から夜まで絵を描く生活が始まりました 数を描くため選んだ画材は鉛筆でした。。 紙は手近なB4のコピー用紙。 そのころはどんな勉強が一番有効なのか分からず とにかく雑誌や新聞の写真を見て 数を描く事に専念しました。 友達からの遊びの誘いもすべて断りました。 食事のための買い物の時間や、たまにテレビを見るくらい それ以外はただひたすら絵を描いて過ごしました。 最初の1週間でその変化に気がつきました 絵が上手くなっているのです。 そして 絵を描くことが驚くほど好きになっていました。 次はどんな絵をかこうかな? わくわくしていました。 いままで 何年もかかっても感じたことのない実感です 2週間、3週間と経つうち その実感は確信に変わり 絵を描くことがどんどん好きになり ますます絵にのめりこんでいきました。 そのころはもう写真を見て描くことはしていませんでした 写真を見て描くと人物の動きが制約されるので いつの間にか写真を見ないで描くようになっていました。 四六時中、絵を描いていると アイデアにつまるので なにかテーマを決めてないと描いて見ようと思い 「子供のあそびシリーズ」「お店屋さんシリーズ」「職業シリーズ」 等とテーマを決めて描いていました。 1日8時間以上絵を描くという生活が3ヶ月も続くころ 絵に対する姿勢も「数を描くから丁寧に描く」 に変わってきていました。 画材も鉛筆からペンに変わり、 絵の具も使うようになっていました。 シリーズもいろいろ描いていくうちに 画風もだんだん落ち着いて ひとつのタッチ(画風)も出来てきました 絵を描くのは益々好きになり 江戸時代をテーマに 落語の登場人物などをユーモラスに 描いたシリーズを描いているころは この絵なら売れるという 強い自信すら持つようになっていました。 次は売込みだ 僕は次のステップに進もうとしていました。 部屋にこもって絵を描き始め 6ヶ月が経っていました
絵を描くことと、絵を売ることは違う!
売込みというのは 絵を売ることです。 絵がどんなに上手くても 売り込めなければ仕事は来ません 実際に 才能ある人がここで 力尽きてしまっているのをたくさん見てきました。 イラストレーターになるには 絵が上手くなることはもちろんですが それと同じくらい あるいはそれ以上に 絵を売る方法を知ることは重要なことなのです。 それなのに ここを教えてくれる講師を 僕は今まで見たことがありません。 僕自身このとき、 売り込みについて知識は全くありませんでした。 こんな絵を持っていったら笑われるんじゃないか? 編集の人となにを話したらいいのだろう? そんなことばかり頭に浮かび 相談できる相手もいない中で悶々と思い悩みました。 あれほどあった自信がみるみる萎んでいくのを感じていました。 ただ 挿絵を分類したおかげで どういう絵を描いて、どういう出版社の どの編集部に持ち込めばいいかだけは判りました。 悩んでいても仕方ありません。 とにかく電話をしなければ 売り込み先はすべての小説誌 講談社の小説現代編集部、 光文社の小説宝石編集部、 文芸春秋社のオール読み物編集部 新潮社の小説新潮編集部、 角川書店の小説すばる編集部 ほか20社くらいの編集部を リストアップしました。 電話の先は大手出版社の著名な小説誌の編集部。 売り込みをした人なら誰でもわかることなのですが ダイヤルを回す(昔なので)時は、 心臓が飛び出すくらいドキドキするものです。 あたって砕けろという気持ちで ダイヤルを回しました。 最初に電話した出版社は驚くほど 簡単に売り込みをOKしてくれました。 仕事も取っていないのに天にも昇る気持ちだったのを 覚えています。 この日僕は 余韻を駆って3つの出版社とアポイントメントと 取ることが出来ました。 あとは売り込みにいくだけです。 僕に残された自由時間は 約二ヶ月、 この間に何とか結果を出さないとと思っていました。 最初の売り込み先は 講談社の小説現代編集部、 でした。 大手だったので以外に気楽でした。 初回だし仕事が取れなくて当たり前、 そんな気持ちでした。 当日、 急遽作った名刺と 作品をポケットファイルに収め電車に乗りました。 護国寺にある 講談社は古く立派な建物で どこの馬の骨ともつかないヘナチョコ売り込み者を 圧倒するには充分な迫力で立っていました 実際の売り込みはというと 電話であれほど緊張したのが嘘のように 楽しいものになりました。 対応に出てきた副編集長という方は とてもやさしく ケチョンケチョンにけなされるかと思ていた僕の絵を いろいろ褒めて下さり。 また,「描いたら持ってきなさい。」という言葉までいただき 意気揚々と引き上げてきました。 (ただ実際に、講談社の小説現代より挿絵連載の仕事が来たのは、それから10年も後のことでした) 光文社、文芸春秋社 新潮社、角川書店、徳間書店、双葉社 どこも、いつも同じでした。 「また描いたら持ってきなさい」 でも、仕事はきません。 仕事をもらえるわけでもなく 「また描いたら持ってきなさい」 の意味がどういうことかもわからないまま 不安だけが膨れ上がってきました。 売り込みを始めた新人なら だれでも最初から仕事が取れるなんて思ってないでしょう。 でも、何度行っても、徒労に終わるような 売り込みに耐えることはなかなか出来ません。 しかし、 耐えなけばプロにはなれません。 なんど行っても仕事をもらえないと だれでも、迷いはじめます。 そして、 その状態から逃げ出したくなり 逃げるための理由を探し始めます。 たとえば、 絵がまだ 未熟だから、 仕事が忙しいくなってきたから、 時期が良くないから、 など逃げる口実を探すのです。 そしてこう結論づけます。 やっぱり、 今の僕(私)には売り込みをするだけの実力がないんだ。 絵をもう一度見直そう とか しばらく絵から離れてみよう とか そして、いつしか 本当に絵から遠ざかっていきます。 僕の教室でも 売り込みを始めた生徒が なかなか仕事をもらえないと みんな悩み始めます。 その生徒が仕事が取れるだけの実力があるのに 売り込みがうまくいかなければ 僕はその生徒の絵を褒め続けます。 そして「君の実力なら必ず仕事は来る」といい続けます。 なぜなら そういう時の生徒の心は怯えきって そういう状態から 今すぐにでも逃げ出したくなっているからです。 その時の、僕もそうでした。 一月がたったけど仕事はきません。 売り込みもすでに 15社は行きました。 後がありませんでした。 リストアップした出版社も残りはわずかです すべて行きつくしたらどうすればいいのだろう。 ただ、 不思議なことにわずかな自信は残っていました。 それは、絵に没頭した6ヶ月のあいだに培った自信でした。 「俺の絵が売れないはずはない。」 結局、 リストアップしたすべての出版社に売り込みしましたが 仕事の依頼はありませんでした。 失業保険もすべて使い果たし、 来月から仕事を探さなければ すぐにでも生活に困る状態になっていました。 当時、 僕はイラストの仕事の流れについて何も知りませんでした。 売り込みに行ってイラストが気に入ってもらえば、 すぐにでも仕事がもらえる と簡単に考えていました。 実際にはどんなにイラストが良かったしても 空きスペースがなければその場で まったくの素人に仕事を頼むなどということはありません。 雑誌でいえば現在編集中のページに たまたまイラストスペースがあり まだ、誰に頼むか決まってない時に ちょうどぴったりの絵を持って 売り込みにきた場合にのみ起こる事で まずないと考えたほうがいいでしょう。 普通、売り込みのイラストがよかったとしても 数日あるいは数週間後にイラストの空きスペースができ、 そうだあのイラストを使ってみようと あなたを思い出すか 次の月、またはその次の編集時に イラストレーターの選定に困り 以前、売り込みに来たあなたのイラストを思い出し まあ、あの新人でもいいか と決める場合だけだと思ってください。 基本的にイラストの仕事はプロがするものなのです。
素人にイラストの仕事は頼まない
よく勘違いされることですが 「イラストのようなアーティスティックな職業は プロとかアマの区別がなく実力本位で仕事がとれる」 と思われています。 では、実際はどうでしょう。 まず、第一に イラストを日常の糧とするプロと 単に絵が多少描けるアマとは 実力の差は歴然とあります。 また、依頼者(編集者やアートディレクター)は 自分たちの意向を的確に理解し、 望み通りの仕事をしてくれるプロに 仕事を頼みたいと思っているのであって 仕事のやり方をいちいち説明し、 ちゃんと仕事をしてくれるかどうかわからず ずっと不安に思いながら 結局失敗する素人に仕事を頼みたいとは 思っていないのです。 ではなぜ 売り込みをする新人に編集者が仕事を依頼するのでしょうか。 これがわかっているか、わかっていないかが 売込みがうまくいくか、いかないかの分かれ目、 ひいては プロになれるかなれないかの分かれ目なのです。
新しい人(売込みをする新人)は 古い人(プロ)にないものを持っている!
それは決して これ見よがしの技術やテクニックではないし 並みはずれたデッサン力でもありません。 そんなところを磨いても絶対、プロには勝てないし だれも望んではいません。 編集者やアートディレクターが望んでいるのは 新しさなのです。 新人にあって プロのイラストレーターにないところは 新しさなのです。 プロのイラストレーターがどんなに上手くても 新しくはないのです。 そして、 人それぞれ顔が違うように 新しさは=貴方らしさなのです。 あなたも必ず持っているのです。 編集者が大事な時間を割いて わざわざ売り込みの貴方に会うのは 今までにない 新しいイラストが見たいからなのです。 僕の場合、 すべてのリストの売り込みがおわり 次にどうしようかと途方に暮れていたときに その電話はなりました。 幻影城という新刊のミステリー雑誌からの 挿絵の依頼でした。 当時ミステリーやSFのブームもあって いくつかの雑誌が新刊されていて 僕も売り込みをかけていました。 幻影城は 幻影城社という聞いたことのない 出版社から発行されていました。 中身は江戸川乱歩、横溝正史系の 古いタイプのミステリーを前面に打ち出し 独自性を売りにしていたのを記憶しています。 幻影城社は神田の雑居ビルの一室にありました。 新しい雑誌だったので 編集者が挿絵家をあまり知らないということと 目新しいイラストを使いたいということで 僕の絵が気に入られたようでした。 2枚の挿絵に3日くらいかかったのを覚えています。 その月は 徳間書店、宝島社など ミステリー、SF系の雑誌、計4社から挿絵の依頼があり 10枚ほどの挿絵を描きました。 時代物の挿絵が半分ほどでした。 その4社からはそれ以降ほぼ毎月仕事を いただけるようになり 挿絵の仕事はその後4年ほど続け 月に10誌くらいをレギュラーでやれるようになりました。 また、新聞の小説に挿絵などの連載も始めました。 ただ、 そのころから挿絵の仕事に限界を感じるようになり 僕の興味は次第に絵本児童書に移っていくのですが これ以上書くととても長くなるので この話は一応ここで終わりとします。 長い間読んでいただいてありがとうございます。 最後に 僕がここであなたに言いたかったことは イラストレーションを学ぶ上で 一番大事なことは 技術やテクニック、デッサン力を磨く事ではない ということです。 イラストレーションを学ぶ上で 一番大事なことは あなた自身をいかに表現するかを知る事です。 僕はそれをあなたに教えたいと思っています。 僕からのメッセージはこれで終わりますが あなたの 「イラストレーターになる夢」 は決してあ きらめないでください。 なぜならそれは 必ず実現するからです もしそれをあきらめなければ! 気まぐれになると思いますが 機会があれば続きを書いていきます。 それでは長い間 読んでいただいた事に感謝いたします。 松本修一 スクールの仔細はここをご覧下さい
後日談 近くにある著名な挿絵画家の家を見て 挿絵イラストを志した僕でしたが 挿絵の料金には全く無頓着でした。 大まかに言うと大手の出版社で 挿絵の仕事をしているということは 安定した仕事してしているということで 当然、安定している収入があり それは 家が建つくらいの金額なのだろう。 今考えると知らないということは 恐ろしいというより他ありません。 実際最初に提示された 幻影城の原稿料を見てあまりに低いので 桁の間違いと思ったくらいです。 1点4,000円、2点なので8,000円 小切手でもらいました。 小切手というのも珍しいのですが イラストの料金がそんなに安い ということをはじめて知りました。 これを読んでいる人で 小説の挿絵の料金を知っている人は ほとんどいないでしょう。 知らないと思うのでそっと教えて上げましょう。 大手の講談社、文芸春秋社、新潮社クラスは 小さなカットは別として モノクロ1点20,000円〜30,000円位です。 やはり大手は良いですね。 値段の開きは新人とベテランの差と思ってください。 やや小さい徳間書店、双葉社クラスは 1点15,000円〜 20,000円位 中小の出版社は1点5,000円〜10,000円 これはあくまで小説の挿絵の料金なので 一般的なカットの料金とは違います。 僕は小説の挿絵の仕事を4年ほどしました。 挿絵の仕事はたいてい月の終わりに 小説原稿が届き10誌あれば10の小説を読み 月の初め(ほぼ同じころに)の締め切りに提出します。 その頃 新聞の挿絵もやっていたのでかなり大変でしたが 勉強にもなり充実した日々でした。 今回はここで終わりますが いずれまた、お話する機会もあると思います。 松本修一の作品
簡単に終わるはずだった僕の話も 書き進めるうちにどんどん長くなってしまいました。 もし、僕の講座に興味を持ってくれたなら メールか電話で問い合わせてください。 渋谷アートスクールのイラスト、絵本の講座は個別指導です。 授業に興味があり受講を希望している人は 授業見学のほか作品の講評も無料で行っています こちらで確認してください art@shibuyaart.com TEL03-3462-6236 FAX03-3462-6251
渋谷アートスクールがどんなところかもっと知りたい方は 卒業生からのメッセージを見てください。 かれらの仕事も載せてあります。 みんな一線で活躍しているイラストレーターです。 また、渋谷アートスクールの卒業生は交流も盛んです。 プロのイラストレーターは一人でやる仕事です。 仕事だけでは寂しくなることもあります。 でも、同じ仕事の仲間がいれば寂しくありません。 卒業後も変わらず付き合えるのは みんな同じ仕事をしているからです 卒業生がプロのイラストレーター同士だからです。 彼らのメッセージです。 きっとあなたの参考になるでしょう 渋谷アートスクール卒業生の作品と送られたメッセージは ここから確認できますクリックしてください
イラストレーターになるには、どうしたらいいのだろう?
イラストレターには5つの喜びがあります
1つ目は仕事の依頼が来た時です。
プロなので仕事の依頼がくるのは当たり前ですが
これは自分の力が人に認められた証です。
とても嬉しいことです。
特に新しい仕事、初めてのタイプの仕事が来たときは、
はやくその仕事を見てみたい、
やってみたいという気持ちで
すごくワクワクします。
イラストレター1つ目の喜びです。
2つ目は絵を描く喜びです。
あなたの仕事は絵を描く事です。
描く事が好きで選んだ仕事です。
楽しくないはずはありません。
仕事を依頼したクライアントに
喜んでもらえる作品を創る事は
あなたとって
とても充実した時間となるのです。
仕事はこんなに楽しいんだと
実感するのはこの時です。
3つ目は作品が掲載された時です。
イラストレターなら誰でも
自分の作品がもう本屋に出ていないかと
書店の棚を探した経験があるはずです
イラストレターの作品は
書籍、ポスター、テレビ等の媒体を通じて
発表されます。
フリーのイラストレターは自分の作品が
これら媒体で多くの人に
見られる事を心待ちにしています。
あなたも、
自分の作品が本や雑誌の表紙を飾ったり
テレビCMで流れたりするのを
見るのはとても嬉しいと思うでしょう。
本当に人に教えたくなります。
イラストレターだけが知る喜びです。
それが一冊丸々自分の作品の
絵本だったりすれば喜びはなお更でしょう。
そして4つ目、ギャラを受け取る喜びです。
この喜びは
誰でもわかる事なので特に今言うこともありませんが
大きい仕事をした後は
貰う金額もそれなりに大きいはずです。
もちろん喜びも大きくなります。
因みに
ポスターならば媒体にも因りますが
1点40万円〜100万円くらいでしょう
印税の仕事ならそれ以上です。
そして最後5番目の喜びは
自分の仕事が形として残せる喜びです。
イラストレーターなら一番大きな喜びかもしれません。
大抵の仕事はそれを形として残すことは出来ません。
時間とお金の引き換えです。
どんなに大金を稼いだとしてもたぶん形としては残りません。
唯一、アーティスティックな仕事だけ
仕事を形で残せます。
イラストレターの仕事はまるで日記のようにです。
あとから
自分の人生を振り返って見ることが出来ます。
やってきた仕事すべてが自分の宝になります。
僕はこの5つの喜びを感じることが出来る
イラストレターという仕事を選んで
本当によかったと思っています。
そしてこの
喜びをずっと感じて生きてこれた事へ
感謝の気持ちでいっぱいです。
なぜ僕がこんな話をここでしたか、
その理由は
あなたにも
イラストレーターになってもらいたいからです
そしてこのイラストレーターという仕事が
どんなにすばらしいか
知ってもらいたからです。
申し遅れました
僕は渋谷アートスクール講師で、
イラストレーターの松本修一と申します。
僕は26歳でフリーのイラストレーターになって
ずっとこの世界で生きてきました。
また、34歳からは
イラストレーションと絵本の講師として
日本デザイナー学院、東京デザイナー学院
という専門学校でイラストレーションと、絵本を
教えてきました。
また、
現在の渋谷アートスクールも含めると
25年以上、イラストレーションと、絵本の講師をして
1000名以上の生徒と接してきました。
そしていつも生徒に言っている事は
イラストレーターになるには方法を知り、
それに沿って勉強していけば、
必ずイラストレーターになれるということです。
当たり前と思いますか?
逆に言うと
イラストレーターになるには方法を知らないと
イラストレーターになれないということです。
絵が下手だからイラストレーターになれないのではありません。
イラストレーターになる方法を知らないから
イラストレーターに成れないのです。
もし、
あなたが今まで
イラストの勉強をしてきて
未だにイラストレーターになれないななら
それは
あなたがイラストレーターになる方法を知らないからです。
または、
イラストレーターになる方法を知っている講師と
めぐり合っていないからです。
自分で言うのもおかしいのですが
僕はイラストレーターを育てる事に自信を持っています。
それは単に多くのイラストレーターを育てたとからではありません
イラストレーターになる方法を知っているからです。
元々
飛び抜けた才能や運の良さでイラストレーターに
すんなりとなってしまう人もいます
あなたはそうでしょうか!
もしそうならこの先を読む必要はないでしょう
反対に
自分に自信がなかったり
能力に不安があったりして
今一歩踏み出せないようなら
僕の話を少しだけ聞いてください
なぜなら、
僕もそうだったからです
そして
僕の教え子たちもみんなそうだったからです
だれもイラストレーターになる方法を
教えてくれなかった
絵で食べていきたい
これが僕がイラストレターになろうと思った動機でした。
当時僕は、専門学校は卒業したものの
就職もせず、絵も描かない
バイトに明け暮れる
ダラダラした生活をおくっていました。
絵を描く仕事に就きたいという
気持ちで入った専門学校だったのですが
学校では課題だけを事務的にこなし
それ以外に絵を描くということはほとんど無く
他に自分のやりたいことも見つからず
そのうち何とかなるだろうという
安易な考えに支配され
若さを謳歌するといえば聞こえは良いのですが
ただ、目先の楽しみだけを追う毎日を過ごしてしていました。
そしていつの間にか
本当に絵を描いて暮らしていけるなんて事があるのだろうか?
イラストレーターなんて特別な才能の持ち主しか成れない
仕事なんじゃないか?
そう思うようになっていました。
それは自分の自信の無さもありましたが
今まで出会った講師や先生で
イラストレーターになる方法を具体的に教えてくれた人が
一人もいなかったからでした。
「イラストレーターは特別な才能がある人だけがなれる仕事」
いつも間にかそう思うようになっていました
そして
気がつけば友達はみな就職。
自分だけがひとり取り残されている事に気がつきました。
「ああ、これから俺はどうなるんだろう?」
そんなことばかり考えて毎日を過ごしていました。
いくつものバイトを繰り返しているうち
いつしか僕も25歳になっていました。
「もう自分は若くない、このまま自分の人生を決めないでいたら
きっと駄目になってしまう」その時は僕そう思いました。
好きでもない仕事を一生続けることは絶対にしたくない!
会社や上司、時間に縛られる仕事もやりたくない!
好きな事だけして心豊かに暮らしたい!
好きな絵で食べていきたい
そして人生1度くらい好きな事をやるため本気で努力しよう!
これが僕がイラストレターになろうと思った動機でした。
まず最初にしたことは会社を辞めました。
一人暮らしをしていたのでとても不安でした。
しかし
仕事をしながら余った時間で
絵が上達するような気がしなかったのです。
そしてまた、今までのような
ダラダラした生活に戻ってしまいそうな気がしました。
当時僕は、
窓ガラス清掃の会社に勤めていました。
給料が良いのでバイトのつもりでしたが
実質は正社員というかたちで
6ヶ月の失業保険(昔は6ヶ月だった)があったのです。
失業保険がおりるまで2ヵ月は
貯金で食いつなぎ
6ヶ月を失業保険で食いつなげば
8ヶ月間、絵に没頭できる。
こうして僕の
死に物狂いの絵を描く生活が
始まりました。
その時僕は
小説挿絵のイラストレターになりたいと思っていました。
理由はたまたま、近くに著名な挿絵画家が住んでいて
その家がそれなりに立派だったというだけです。
小説挿絵のイラストレターになるには
どんなイラストを描き、
どうやって売り込めばばいいのだろう。
いきなり疑問にぶつかりました。
いままで描いた絵をそのまま持ち込んでいいのだろうか
具体的にはまったくわかりません。
何を描いていいかわからない??
イラストレターになるという
結論は出たのですが
なるための勉強のやり方が全くわかりません。
いままでイラストの学校に行ってたはずなのに
全くわからないのです。
まず初め考えたことは
「いったい何を描けばいいのだろう???」
学校の課題やデッサンやクロッキーが
売り込みに使えないことぐらいはわかります。
学校ではB2のパネルに水張りで描くのが普通でしたが
イラストレーターがそんなものを描いているようには
思えません。
誰も教えてくれないなら自分で調べよう
これが結論でした。
神田の古本屋に行って店頭にならぶ
小説誌を山のように買い込みました。
うちに帰り
すべての小説の挿絵を切り抜き
タイプにより分類しました。
すると
ある一定の法則が見えてきました。
今、現在の小説誌の挿絵に
必要な要素は
こういうことであるという法則です。
たとえば
今、現在の小説は
どんなタイプに分けられるか。
タイプ別の多い少ない。
挿絵家達は
どういう事に注意して絵を描いているか。
どの挿絵家がどこでどういう仕事をしているか。
誰が売れっ子で誰が新人か。
売れっ子と新人の違いは何か。
そして、
プロの絵は
素人とどれくらいレベルの差があるか。
こんなことは学校で習った事はないことです。
だれも教えてくれなかったけれど
挿絵のイラストレーターになるにはとても大事なことです。
これは
スポーツで言えばルールのようなもので
サッカーのルールを知らないで
やみ雲にボールをけってもサッカー選手になれないように
自分の進みたいイラストがどの分野で
その分野で必要とされている事は何か
を知りそのための勉強をしなければ
イラストレーターには成れません。
「そんなことは知らなくても
イラストレーターに成れる人はいるんじゃないか?」
そういう質問もあるかもしれません。
たしかに
僕の友人の中には
ほとんど勉強しなくてイラストレーターになった人はいます。
ただその人たちに共通することは
飛びぬけた才能かよほどの強運があります。
普通どちらもありません。
少なくとも
僕が教えてきた
1000名以上の生徒でそのような飛び抜けた才能や運の良さを
持った生徒を未だかつて見たことがありません
八百屋を出したければ野菜のこと
レストランを出すなら料理のこと
これは必須の知識です
同じように
イラストレーターになるなら
知っておくべき知識があります。
集中して描く事で絵は格段にうまくなる。
挿絵を分類したおかげで
挿絵というものがどういうものか
また、自分の絵がどんなタイプなのかも
少しわかりました。
プロになる近道は集中して描く事です。
会社を辞めた僕には
有り余った時間がありました。
僕は
それらの時間を全て絵を描くことに使おうと思いました
こうして
朝から夜まで絵を描く生活が始まりました
数を描くため選んだ画材は鉛筆でした。。
紙は手近なB4のコピー用紙。
そのころはどんな勉強が一番有効なのか分からず
とにかく雑誌や新聞の写真を見て
数を描く事に専念しました。
友達からの遊びの誘いもすべて断りました。
食事のための買い物の時間や、たまにテレビを見るくらい
それ以外はただひたすら絵を描いて過ごしました。
最初の1週間でその変化に気がつきました
絵が上手くなっているのです。
そして
絵を描くことが驚くほど好きになっていました。
次はどんな絵をかこうかな?
わくわくしていました。
いままで
何年もかかっても感じたことのない実感です
2週間、3週間と経つうち
その実感は確信に変わり
絵を描くことがどんどん好きになり
ますます絵にのめりこんでいきました。
そのころはもう写真を見て描くことはしていませんでした
写真を見て描くと人物の動きが制約されるので
いつの間にか写真を見ないで描くようになっていました。
四六時中、絵を描いていると
アイデアにつまるので
なにかテーマを決めてないと描いて見ようと思い
「子供のあそびシリーズ」「お店屋さんシリーズ」「職業シリーズ」
等とテーマを決めて描いていました。
1日8時間以上絵を描くという生活が3ヶ月も続くころ
絵に対する姿勢も「数を描くから丁寧に描く」
に変わってきていました。
画材も鉛筆からペンに変わり、
絵の具も使うようになっていました。
シリーズもいろいろ描いていくうちに
画風もだんだん落ち着いて
ひとつのタッチ(画風)も出来てきました
絵を描くのは益々好きになり
江戸時代をテーマに
落語の登場人物などをユーモラスに
描いたシリーズを描いているころは
この絵なら売れるという
強い自信すら持つようになっていました。
次は売込みだ
僕は次のステップに進もうとしていました。
部屋にこもって絵を描き始め
6ヶ月が経っていました
絵を描くことと、絵を売ることは違う!
売込みというのは
絵を売ることです。
絵がどんなに上手くても
売り込めなければ仕事は来ません
実際に
才能ある人がここで
力尽きてしまっているのをたくさん見てきました。
イラストレーターになるには
絵が上手くなることはもちろんですが
それと同じくらい
あるいはそれ以上に
絵を売る方法を知ることは重要なことなのです。
それなのに
ここを教えてくれる講師を
僕は今まで見たことがありません。
僕自身このとき、
売り込みについて知識は全くありませんでした。
こんな絵を持っていったら笑われるんじゃないか?
編集の人となにを話したらいいのだろう?
そんなことばかり頭に浮かび
相談できる相手もいない中で悶々と思い悩みました。
あれほどあった自信がみるみる萎んでいくのを感じていました。
ただ
挿絵を分類したおかげで
どういう絵を描いて、どういう出版社の
どの編集部に持ち込めばいいかだけは判りました。
悩んでいても仕方ありません。
とにかく電話をしなければ
売り込み先はすべての小説誌
講談社の小説現代編集部、
光文社の小説宝石編集部、
文芸春秋社のオール読み物編集部
新潮社の小説新潮編集部、
角川書店の小説すばる編集部
ほか20社くらいの編集部を
リストアップしました。
電話の先は大手出版社の著名な小説誌の編集部。
売り込みをした人なら誰でもわかることなのですが
ダイヤルを回す(昔なので)時は、
心臓が飛び出すくらいドキドキするものです。
あたって砕けろという気持ちで
ダイヤルを回しました。
最初に電話した出版社は驚くほど
簡単に売り込みをOKしてくれました。
仕事も取っていないのに天にも昇る気持ちだったのを
覚えています。
この日僕は
余韻を駆って3つの出版社とアポイントメントと
取ることが出来ました。
あとは売り込みにいくだけです。
僕に残された自由時間は
約二ヶ月、
この間に何とか結果を出さないとと思っていました。
最初の売り込み先は
講談社の小説現代編集部、
でした。
大手だったので以外に気楽でした。
初回だし仕事が取れなくて当たり前、
そんな気持ちでした。
当日、
急遽作った名刺と
作品をポケットファイルに収め電車に乗りました。
護国寺にある
講談社は古く立派な建物で
どこの馬の骨ともつかないヘナチョコ売り込み者を
圧倒するには充分な迫力で立っていました
実際の売り込みはというと
電話であれほど緊張したのが嘘のように
楽しいものになりました。
対応に出てきた副編集長という方は
とてもやさしく
ケチョンケチョンにけなされるかと思ていた僕の絵を
いろいろ褒めて下さり。
また,「描いたら持ってきなさい。」という言葉までいただき
意気揚々と引き上げてきました。
(ただ実際に、講談社の小説現代より挿絵連載の仕事が来たのは、それから10年も後のことでした)
光文社、文芸春秋社
新潮社、角川書店、徳間書店、双葉社
どこも、いつも同じでした。
「また描いたら持ってきなさい」
でも、仕事はきません。
仕事をもらえるわけでもなく
「また描いたら持ってきなさい」
の意味がどういうことかもわからないまま
不安だけが膨れ上がってきました。
売り込みを始めた新人なら
だれでも最初から仕事が取れるなんて思ってないでしょう。
でも、何度行っても、徒労に終わるような
売り込みに耐えることはなかなか出来ません。
しかし、
耐えなけばプロにはなれません。
なんど行っても仕事をもらえないと
だれでも、迷いはじめます。
そして、
その状態から逃げ出したくなり
逃げるための理由を探し始めます。
たとえば、
絵がまだ
未熟だから、
仕事が忙しいくなってきたから、
時期が良くないから、
など逃げる口実を探すのです。
そしてこう結論づけます。
やっぱり、
今の僕(私)には売り込みをするだけの実力がないんだ。
絵をもう一度見直そう
とか
しばらく絵から離れてみよう
とか
そして、いつしか
本当に絵から遠ざかっていきます。
僕の教室でも
売り込みを始めた生徒が
なかなか仕事をもらえないと
みんな悩み始めます。
その生徒が仕事が取れるだけの実力があるのに
売り込みがうまくいかなければ
僕はその生徒の絵を褒め続けます。
そして「君の実力なら必ず仕事は来る」といい続けます。
なぜなら
そういう時の生徒の心は怯えきって
そういう状態から
今すぐにでも逃げ出したくなっているからです。
その時の、僕もそうでした。
一月がたったけど仕事はきません。
売り込みもすでに
15社は行きました。
後がありませんでした。
リストアップした出版社も残りはわずかです
すべて行きつくしたらどうすればいいのだろう。
ただ、
不思議なことにわずかな自信は残っていました。
それは、絵に没頭した6ヶ月のあいだに培った自信でした。
「俺の絵が売れないはずはない。」
結局、
リストアップしたすべての出版社に売り込みしましたが
仕事の依頼はありませんでした。
失業保険もすべて使い果たし、
来月から仕事を探さなければ
すぐにでも生活に困る状態になっていました。
当時、
僕はイラストの仕事の流れについて何も知りませんでした。
売り込みに行ってイラストが気に入ってもらえば、
すぐにでも仕事がもらえる
と簡単に考えていました。
実際にはどんなにイラストが良かったしても
空きスペースがなければその場で
まったくの素人に仕事を頼むなどということはありません。
雑誌でいえば現在編集中のページに
たまたまイラストスペースがあり
まだ、誰に頼むか決まってない時に
ちょうどぴったりの絵を持って
売り込みにきた場合にのみ起こる事で
まずないと考えたほうがいいでしょう。
普通、売り込みのイラストがよかったとしても
数日あるいは数週間後にイラストの空きスペースができ、
そうだあのイラストを使ってみようと
あなたを思い出すか
次の月、またはその次の編集時に
イラストレーターの選定に困り
以前、売り込みに来たあなたのイラストを思い出し
まあ、あの新人でもいいか
と決める場合だけだと思ってください。
基本的にイラストの仕事はプロがするものなのです。
素人にイラストの仕事は頼まない
よく勘違いされることですが
「イラストのようなアーティスティックな職業は
プロとかアマの区別がなく実力本位で仕事がとれる」
と思われています。
では、実際はどうでしょう。
まず、第一に
イラストを日常の糧とするプロと
単に絵が多少描けるアマとは
実力の差は歴然とあります。
また、依頼者(編集者やアートディレクター)は
自分たちの意向を的確に理解し、
望み通りの仕事をしてくれるプロに
仕事を頼みたいと思っているのであって
仕事のやり方をいちいち説明し、
ちゃんと仕事をしてくれるかどうかわからず
ずっと不安に思いながら
結局失敗する素人に仕事を頼みたいとは
思っていないのです。
ではなぜ
売り込みをする新人に編集者が仕事を依頼するのでしょうか。
これがわかっているか、わかっていないかが
売込みがうまくいくか、いかないかの分かれ目、
ひいては
プロになれるかなれないかの分かれ目なのです。
新しい人(売込みをする新人)は
古い人(プロ)にないものを持っている!
それは決して
これ見よがしの技術やテクニックではないし
並みはずれたデッサン力でもありません。
そんなところを磨いても絶対、プロには勝てないし
だれも望んではいません。
編集者やアートディレクターが望んでいるのは
新しさなのです。
新人にあって
プロのイラストレーターにないところは
新しさなのです。
プロのイラストレーターがどんなに上手くても
新しくはないのです。
そして、
人それぞれ顔が違うように
新しさは=貴方らしさなのです。
あなたも必ず持っているのです。
編集者が大事な時間を割いて
わざわざ売り込みの貴方に会うのは
今までにない
新しいイラストが見たいからなのです。
僕の場合、
すべてのリストの売り込みがおわり
次にどうしようかと途方に暮れていたときに
その電話はなりました。
幻影城という新刊のミステリー雑誌からの
挿絵の依頼でした。
当時ミステリーやSFのブームもあって
いくつかの雑誌が新刊されていて
僕も売り込みをかけていました。
幻影城は
幻影城社という聞いたことのない
出版社から発行されていました。
中身は江戸川乱歩、横溝正史系の
古いタイプのミステリーを前面に打ち出し
独自性を売りにしていたのを記憶しています。
幻影城社は神田の雑居ビルの一室にありました。
新しい雑誌だったので
編集者が挿絵家をあまり知らないということと
目新しいイラストを使いたいということで
僕の絵が気に入られたようでした。
2枚の挿絵に3日くらいかかったのを覚えています。
その月は
徳間書店、宝島社など
ミステリー、SF系の雑誌、計4社から挿絵の依頼があり
10枚ほどの挿絵を描きました。
時代物の挿絵が半分ほどでした。
その4社からはそれ以降ほぼ毎月仕事を
いただけるようになり
挿絵の仕事はその後4年ほど続け
月に10誌くらいをレギュラーでやれるようになりました。
また、新聞の小説に挿絵などの連載も始めました。
ただ、
そのころから挿絵の仕事に限界を感じるようになり
僕の興味は次第に絵本児童書に移っていくのですが
これ以上書くととても長くなるので
この話は一応ここで終わりとします。
長い間読んでいただいてありがとうございます。
最後に
僕がここであなたに言いたかったことは
イラストレーションを学ぶ上で
一番大事なことは
技術やテクニック、デッサン力を磨く事ではない
ということです。
イラストレーションを学ぶ上で
一番大事なことは
あなた自身をいかに表現するかを知る事です。
僕はそれをあなたに教えたいと思っています。
僕からのメッセージはこれで終わりますが
あなたの
「イラストレーターになる夢」
は決してあ きらめないでください。
なぜならそれは
必ず実現するからです
もしそれをあきらめなければ!
気まぐれになると思いますが
機会があれば続きを書いていきます。
それでは長い間
読んでいただいた事に感謝いたします。
松本修一
スクールの仔細はここをご覧下さい
後日談
近くにある著名な挿絵画家の家を見て
挿絵イラストを志した僕でしたが
挿絵の料金には全く無頓着でした。
大まかに言うと大手の出版社で
挿絵の仕事をしているということは
安定した仕事してしているということで
当然、安定している収入があり
それは
家が建つくらいの金額なのだろう。
今考えると知らないということは
恐ろしいというより他ありません。
実際最初に提示された
幻影城の原稿料を見てあまりに低いので
桁の間違いと思ったくらいです。
1点4,000円、2点なので8,000円
小切手でもらいました。
小切手というのも珍しいのですが
イラストの料金がそんなに安い
ということをはじめて知りました。
これを読んでいる人で
小説の挿絵の料金を知っている人は
ほとんどいないでしょう。
知らないと思うのでそっと教えて上げましょう。
大手の講談社、文芸春秋社、新潮社クラスは
小さなカットは別として
モノクロ1点20,000円〜30,000円位です。
やはり大手は良いですね。
値段の開きは新人とベテランの差と思ってください。
やや小さい徳間書店、双葉社クラスは
1点15,000円〜 20,000円位
中小の出版社は1点5,000円〜10,000円
これはあくまで小説の挿絵の料金なので
一般的なカットの料金とは違います。
僕は小説の挿絵の仕事を4年ほどしました。
挿絵の仕事はたいてい月の終わりに
小説原稿が届き10誌あれば10の小説を読み
月の初め(ほぼ同じころに)の締め切りに提出します。
その頃
新聞の挿絵もやっていたのでかなり大変でしたが
勉強にもなり充実した日々でした。
今回はここで終わりますが
いずれまた、お話する機会もあると思います。
松本修一の作品
挿絵/フランクリン・ミント社
(海外出版社/アメリカ)
ポスター/日本財団
絵本/メイト
絵本/ほるぷ出版
雑誌カバー/学研
書籍カバー/日東書院
簡単に終わるはずだった僕の話も
書き進めるうちにどんどん長くなってしまいました。
もし、僕の講座に興味を持ってくれたなら
メールか電話で問い合わせてください。
渋谷アートスクールのイラスト、絵本の講座は個別指導です。
授業に興味があり受講を希望している人は
授業見学のほか作品の講評も無料で行っています
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art@shibuyaart.com
TEL03-3462-6236
FAX03-3462-6251
渋谷アートスクールがどんなところかもっと知りたい方は
卒業生からのメッセージを見てください。
かれらの仕事も載せてあります。
みんな一線で活躍しているイラストレーターです。
また、渋谷アートスクールの卒業生は交流も盛んです。
プロのイラストレーターは一人でやる仕事です。
仕事だけでは寂しくなることもあります。
でも、同じ仕事の仲間がいれば寂しくありません。
卒業後も変わらず付き合えるのは
みんな同じ仕事をしているからです
卒業生がプロのイラストレーター同士だからです。
彼らのメッセージです。
きっとあなたの参考になるでしょう
渋谷アートスクール卒業生の作品と送られたメッセージは
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